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【新・関西笑談】“2人の祖父”ひもとく3代目(2)

今日はこのニュースです。

 □正岡子規の孫で樹木医 正岡明さん

 ■昔は祖父のことを何も知らず 勲一等の勲章も押し入れの中に。

 -司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」では、正岡明さんの実の祖父である外交官の加藤拓川(たくせん)について、正岡子規の上京に尽力した人物として描かれています

 正岡 資金面で援助しただけでなく、友人のジャーナリスト陸羯南(くがかつなん)に子規を託したことが、後の活躍につながっていきます。子規の生みの親といっていいでしょう。日露戦争で活躍した秋山好古(よしふる)とは幼なじみの大親友で、日露戦争中には、ベルギー公使時代の拓川に好古が手紙を出していたことも最近分かりました。まさに「坂の上の雲」の“影のキーマン”というべき人物です。

 --坂の上の雲の主人公たちに多大な影響を与えていたのですね。しかし、拓川の知名度はあまり高くありません

 正岡 私も昔はどんな人物かほとんど知らず、親からも聞かなかったのですが、たまたま20年ほど前に伊丹市の実家で、500~600通くらいの書簡がびっしり詰まった箱を見つけました。それを見ると、差出人がすごい人ばかりだったんですね。西園寺公望、原敬、犬養毅…と首相だけで6人。ほかにも山縣有朋、松方幸次郎、明石元二郎…。政治家、軍人、実業家、芸術家と交友関係も幅広い。びっくりして、祖父について調べるきっかけになりました。

 --孫の明さんですら知らなかった

 正岡 父は拓川の話も、子規の話もまったくしたことがなかったんです。亡くなった母がときどき話していたのは、拓川という人はとにかく面白い人で、いたずらが好きで、すごくしゃれた人だったと。それと、朝から酒を飲んでいたとも。

 --司馬さんは拓川について「およそ金銭についての執着が薄く、ひとに月給袋ごとくれてやることもしばしば」「無欲、洒脱な人柄」などと記しています

 正岡 司馬さんは「拓川の生涯は友人をつくるためにあった」ともおっしゃっていました。とにかく人間関係、友人を大事にした人で、絵はがきが約2500枚もありました。1枚も捨てずに全部残してたんです。昨年12月に、その絵はがきを大阪府立弥生文化博物館で初めて展示しました。西欧のアールヌーヴォーやエンボスの技術も駆使した、美術的にすぐれた絵はがきも多く、女性に好評でした。

 --拝観しましたが、100年前とは思えないデザインセンスで見応えがありました。手紙類のほかにはどのような遺物が

 正岡 外交官時代、明治天皇からの任命書ですね。そういうものが50通くらいありました。それから勲章とか、フランスに留学したときのトランクとか、いろんな遺品がありました。

 --まさに家宝。実家で大切に保存されてきたのでしょうね

 正岡 それがまったく。母がそういうことに興味がなくて、勲章をザルに全部ガサーとあけて、山盛りで押し入れの中に入れ、友達の帯留めにプレゼントであげていた、と聞いています。

 --なんということを

 正岡 勲一等の旭日大綬章という最高勲章がありまして、それも、私には価値が全然わからなくて。30年ほど前、たまたま勲章に詳しい友達が来たので「きれいな勲章があるで」と見せたら、「何でこんなんのがお前のところにあるんや。じいさん、いったい何者や」といわれましてね。そのとき初めて拓川に興味を持ったように思います。(聞き手 川西健士郎)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120515-00000119-san-soci
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